メキシコ国立人類学博物館 アステカのすごい神々(怖いもの見たさ) その2

その1の続きです。

メキシコ国立人類学博物館 アステカ・マヤのすごいやつ その1

2018.09.12

1.  ふだん使いの土器の可愛さが異常

2.強烈な(時にグロテスクなほど)神々と遺跡の造形

3.1と2を経て、もっと自由でいいやと思える安心感

2.強烈な(時にグロテスクなほど)神々と遺跡の造形

「地母神」「全ての天の者を生む地球の大母神」「炎と肥沃の女神」「生と死、および再生の女神」と聞くとどんなイメージが浮かびますか?

例えばギリシャ・オリュンポスの女神たち。ヘラー、デメテル。メソポタミアのイシュタル、シリアのアシュタルテと同一とされるアフロディテ。

Ancient Greece-In the ancient Greek religion, the Twelve Olympians are the major deities of the Greek pantheon, commonly considered to be Zeus, Hera, Poseidon, Demeter, Athena, Apollo, Artemis, Ares, Aphrodite, Hephaestus, Hermes and either Hestia, or Dionysus.[1] Hades

美女であり、そして戦をよくする神でもあり、大変強い彼女たち。

また、ちょっとマニアックだと、エフェソスで出土した全身が乳房で覆われた地母神像を創造する方もいるでしょうか。
あるいは縄文の美女やマルタの女神像など?

ではアステカではどうなるかというと。

どん。

「Cōātlīcue」の画像検索結果

高さ2.5メートルほど、ものすごくデカいです。

こちら後ろ姿。人との大きさの差がお分かりいただけるでしょうか。

私は自分の中の女神の概念が木っ端みじんに吹き飛びました。

頭は双頭の蛇が向かい合っています。
首には心臓と手のネックレス、ネックレスの奥に乳房が見えます。ドクロのベルト、蛇のスカートをはいています。
コアトリクエ(Cōātlīcue)という名の神様です。コアトルは蛇です。蛇のスカートをはく淑女というような意味だとか。
手はよくわかりませんが、足は恐竜みたいな爪の生えた足でした。

私の地母神という概念に対する理解が浅薄だったと思い知った気がしました。

定説とは思えませんが、自分の切り落とした首が背中のベルトの生首で、首から流れ落ちる血が無数の蛇(生命)として大地に溢れる様であるという説明をされているガイドさんもいるそうです。

なんにしても、激しい。

そういう暴力的な想像を許す激しさがあります。

生をつかさどるということは、死をも司る必要があるわけですね。

生きるということは、本質的に激しいものであるという認識が根底にある。

日本の地母神・伊邪那美が、冥界に降った後腐った自分を見られて激怒し、伊邪那岐に、「地上の人間を一日1,000人縊り殺してやる!」と呪い、伊邪那岐が「じゃあ一日1,500人産む!」と啖呵切るような、そういう壮絶さと相通じるものを感じました。
(この会話、和の国ねぇ、と口を尖らせたくなるような国生み神話じゃありませんか)

現代の日本の社会では、私たちは、丁寧に丁寧に、大事に大事にそういう激しさ生々しさから隔離してもらって日々生きているわけですが、私の中にはどうもそういう激しさの究極をみてみたい欲求があるようで、それが呼び起こされる感じがいたしました。

閑話休題。

他にもですね、ミクトランシワトル。死者の女王。

ん??ちょっとゆるい??
蛇のスカートはデフォなんですね。
ちなみに、このポーズはアタッキングポーズということで、攻撃するぞ、という威嚇のポーズだそうです。
鼻がないのと目を見開いている(瞼がない)のはドクロだから。
耳が大きいのは冥界の神の特徴。

 

コアトリクエの娘コヨルシャウキ(Coyolxāuhqui)。

神話の故事にちなんで、切り刻まれております。直径3.5メートル。これもすさまじい迫力。

残留化学物質から復元する色合いはこうだったとか。

神々となると、日用品のかわいらしさやおとぼけ感が消え、凄みがあふれだしています。

巨大化も著しい。

おそらく、文明が成熟しはじめ人口も増えたことで、中央集権化が進み、王の権力を強化するために神々の異形が人に与える強烈な印象を使用したものと思います。

こういったものが、スペイン人には忌み嫌われ、ほとんどのものが破壊されたとおもわれます。

蛇=サターンの方程式が頭に刷り込まれているキリスト教徒なので、蛇のスカート!?人間の心臓と手をネックレスに??な時点でエクソシストを呼びたくもなるのでしょう。

 

3.もっと自由でいいやと思える安心感

衝撃で一度真っ白に燃え尽き、しばらく混乱していました。
そのあと、その焼野原から立ち上がるようにしみじみと「生きるってもっと自由なんだ」と思いました。

私は日本という、自然環境が美しいと同時にとても獰猛である地に暮らしています。

これらの獰猛な神々を見て、アルテミスが鹿と森を歩いていたらスズメバチに刺されてアナフィキラシーで死にかけたり(日本の蜂は海外のハイカーにはとても恐れられています)、石の神殿が地震ですぐ壊れたりしそうな日本で、わざわざオリュンポス12神に似合わないと嘆く必要はない、と思ったのでした。

私は日本の山も川も愛しているので、山や川が時々人を殺すことを知っていますし、地震や台風も言うまでもないことです。追悼山行や救助の度に、その恐ろしさが身体に刻まれます。

しかし教科書で「ヴィーナスの誕生」の絵画を見て、彼女がイシュタルを祖とし元は地母神であると学習しても、この大地と自然の摂理の中の恐ろしい部分が伝わるとは思えないわけです。

ただ美しいだけではないということ。
そして、それでよいということ。

一神教でない世界では、神も人も獰猛な部分や闇の部分がある。
ピュアで善なる人間になれない自分を罰し続ける必要はなく、懺悔室に行く必要はない。
(勿論他者は傷つけてはいけないので社会的な罪は犯してはいけない)

天使にも悪魔にもなり切れない、時々いい人で、でも中途半端に時々機嫌の悪い自分で、まあいいんだなと。

そんなこんなで結構なカタルシスとなった博物館だったのでした。

 

何せ大きすぎるので、中のカフェで休憩しながらがよいと思います。

公園を出た向かいにはスターバックスもあるし、本屋さんの中のカフェもかわいいです。